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親父の家政婦だった女 第五十八話

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 大学の冬休みが始まった。俺は東京のマンションに一人だった。前の日の朝から、西岡は一足先に長野の別荘へ発っていた。「あまりに散らかっていたら恥ずかしいですから、先に行って掃除をしておきます」とのことだった。
 一日後れて、俺も別荘へ向かう。西岡のメモに従って、残っていた食材を全部使いきり、朝食を済ませて規定の錠剤を服用した。雨戸を下ろして、新聞を停止するよう配達所へ連絡して、ガスの元栓と電気のブレーカーを落として、施錠を確認して、マンションを後にした。

 新宿で高速バスを待つ間、西岡へのクリスマスプレゼントを物色した。雪の結晶を象ったイヤリングが目に留まったので、それを買っていくことにした。

 目的地でバスを降りた。ところどころに雪が残っている。鄙びた一般道の路肩に白い車が一台だけ停まっており、運転席から白黒の上下に身を包んだ見慣れた女が姿を現した。
「長旅お疲れ様でした。ここからさらに車で二時間ばかり移動いたします」
 西岡は平然と説明したが、二時間という所を俺は聞き逃さなかった。
「遠いな」
「それから、途中から携帯電話が通じなくなってしまいますので、今のうちに米田様にご連絡をなさってください」
 その言葉で、俺はかなりの山奥に連れていかれつつあることを知った。後から別荘を訪ねてくる米田にはすでにバスの予定時刻を聞いてあったから、別段連絡すべきこともなかったが、正午には高速バス出口まで迎えに来ている旨と、携帯電話が通じなくなる旨だけ連絡しておいた。すぐに極めて簡潔な返信があった。「了解」と。

 西岡の運転する自動車は国道から県道へと曲がり、県道は次第に山道へ入っていった。標高が高くなるにつれ、雪が深くなっていった。右側には雪の壁が、左側には切り立った崖がある狭い道を、西岡の車は進んでいった。

 俺は以前西岡に勧められた『魔の山』の続きを助手席で読んでいた。折しも主人公がスキーを履いて冒険に出かけ、雪山で遭難する場面であった。縁起が悪いのと、書いてあることが小難しくなってきたのとで、俺は本を閉じてしまった。もう続きを読む気が起きなかった。俺が今後この本の続きを読まなければ、俺の中の主人公は永遠にこの雪山で遭難したままなのだろうと考えた。

 西岡は無言で運転に集中しているようだった。あるいは、特に集中していなくとも、俺に話しかける気分ではないだけかもしれない。
「ずいぶん山奥なんだな」
「はい。やはり、自動車なしでは少々不便な立地です。しかし逆に云えば、人の出入りが少ないだけ、空気はきれいですし、静養には向いていると思いますよ」
「静養か。そうだな」
 何となく、「静養」という言葉が不似合いのような気がしたが、別荘なのだから「静養」であっているのかもしれないと思った。

 別荘に到着した。斜面の上の方にスキー場のゲレンデが見えた以外にこれといって施設があるようにも見えなかった。別荘と云われて軽井沢の別荘街のようなものを想像していたが、ここは全く孤立した陸の孤島、雪山の孤島のようだった。

 別荘は想像していた以上に大きかった。前に見せられた写真よりも奥行きがかなりあって、スキー宿か何かとして客を取れるのではないかとさえ思った。凍り付いた砂利を歩いて玄関に回る。風に湿度があって、上着をすり抜けて直接身体に吹き付けるような気がした。

 屋内はよく暖房が効いていた。
「ああ、暖かい。生き返るようだ」
「長旅お疲れ様でした。ただ今お部屋へご案内します」
 玄関をくぐるとロビーがあり、二階への階段があって、その横から廊下が伸びている。本当に民宿として使えそうだ、と思った。俺は一階の廊下の一番奥の部屋へ通された。奥の部屋には、木製の二段ベッドがあり、書き物机があって、南向きの窓からはテラスに下りられるようになっていたが、残念ながらテラスは一面雪で覆われていて、出られそうになかった。窓際には白いスチーム暖房器が据え付けられている。部屋は十分暖められており、外気に冷えて赤くなった耳が火照るほどだった。

 昼食はすでに西岡が準備してくれていた。ダイニングとキッチンは廊下の奥にあり、俺に割り当てられた部屋から出て正面にあった。二人で向かい合って食事を済ませた後、キッチンの構造や使い方を西岡に教えてもらいながら皿を洗った。流し場の横では、いかついボイラーが青い火を覗かせて温水を生成していた。
「一つ気になるんだが」
「なんでしょう」
 隣で皿を拭きながら西岡が答える。
「燃料や食料はどうやって調達するんだ」
「ガスは毎週月曜日に業者が運んでくるよう頼んであります。食材は、麓まで下りないとスーパーがないので、西岡が車で買いに出ますわ」
 西岡の言葉一つ一つが、この別荘が孤立していることを思い知らせてくれた。

 昼食後は、西岡に別荘の各部屋を案内してもらったり、洗濯物の干し方、ゴミ出しの仕方など、家事についての説明を受けたりして、慌ただしく過ごした。これでは休養に来たのか、別荘の家事を手伝いに来たのか、よくわからなくなってしまったが、どの家事も俺と西岡の二人がこの別荘で生活を営むのに必要な手間であって、それを半分分担するのは当然のような気もした。

 

 次の日、西岡は俺をスキー場へ連れ出した。スキー場は別荘から山道を歩いてさらに少し上ったところにあり、ほとんど秘境であって、スキー客は非常に疎らだった。その分、ほかの客を気にせずに滑ることができた。

 その晩、西岡はケーキを買ってきていた。俺はそれで初めて、クリスマスイブだったことを思い出した。
「そうか、そうだったな。メリークリスマス」
「メリークリスマスイブ、です」
「細かいことを云うな」
 西岡がくすっと笑った。俺もつられて笑った。クリスマスイブの夜に、二人きりでケーキを挟んで微笑み合っているのが、どうも恋人同士のすることのような気がして妙に気恥ずかしかった。耳が熱くなるのを感じたが、暖房のせいだろうと思うことにした。

 別荘へ来る前に買っておいた雪の結晶のイヤリングを渡したら、西岡は心底嬉しそうに礼を云い、早速着けてくれた。

 西岡からのプレゼントは、重厚で男性的なデザインの万年筆であった。大人っぽいデザインで格好はつくが、少々重くて日常の筆記には向かないかも知れない、と思った。口には出さなかった。
「それから、こちらはクリスマスプレゼントというよりは新年のための備えなのですが、」
 西岡は控えめな動作で、紙袋から卓上カレンダーを取り出した。来年のカレンダーであって、月ごとのページに、女の子に人気のあるフェミニンな子猫のキャラクターが、それぞれの季節にふさわしい格好をして載っていた。
「卓上で使っていただけたら幸いですわ」
「う、うむ。ありがとう」
 礼を云いながらも、俺は反応に困った。ハタチを迎えた大学生の男が、卓上でキティーちゃんのカレンダーを使うというのか。卓上カレンダーは、とりあえず旅行バッグにしまっておくことにした。仕舞いっぱなしになるかもしれないと思った。

 

 二十五日も一日中スキーをして過ごした。

 そのせいか、米田が訪ねてくる二十六日には、全身、特にふくらはぎと背筋ががちがちに筋肉痛になってしまっていた。二十六日は、朝から米田を迎えるための昼食の準備に駆り出された。西岡の指示に従って、完成形がどうなるのかよくわからないまま、肉の下拵えをしたり、大量のタマネギをスライスしたりさせられた。ひょっとして俺は、西岡の雇い主ではなく、弟子の家政婦見習いなのではないかと疑ったが、西岡の口調は飽くまでも使用人が主人に対する時の慇懃な口調であって、それに応じる俺の口調は「うむ」とか、「おお、そうか」とか、表面上は偉そうで、しかし従順な口調にならざるを得なかった。

 高速道路の出口まで下りて、米田を拾う。俺に対しては軽く手を挙げて「よう」とだけ云い、西岡には改まって挨拶をした。
「初めまして、米田です。よろしくお願いします」
「何もないところですが、楽しんでいただけたら幸いですわ」
 西岡はとびきりの作り笑顔で答えた。米田は西岡相手に少し緊張しているようだった。

 車に乗り込み、別荘まで上がり、米田に部屋をあてがって、昼食を終えるまでの間、俺はどうも米田の態度が気になっていた。地元にいた頃の、何事にも動じない超然とした米田ではなく、何か気がかりなことがあるようなそわそわして落ち着かない様子だった。その落ち着きのなさは様々な行動に表れたが、もっとも顕著に表れたのは昼食の時である。

 昼食の席は、俺の向かいに米田が座り、西岡が米田の横に座る形になった。俺は一通りこの別荘の周囲の様子を説明した。
「……とまあ、周りにあるのは雪に埋もれたハイキングコースと山の上の寂れたスキー場ぐらいのものなんだよ」
「成程。少しはスキーが上手くなったか」
「筋肉痛にはなった」
「ハハハ」
 それで一通り説明が済んでしまって、食卓に短い沈黙が訪れた。すると、急に米田がおろおろし始めた。
「そっ、そうだ。そのスキー場はどこにあるんだっけ」
 先ほど一通り説明したはずのことを米田が聞き返した。
「だから、山道をちょっと上ったところさ。ここからは見えないが、かなり近いよ」
「あ、ああ、そうだったな」
 俺は米田の様子ばかりに気を取られていて、その隣で西岡がどんな表情をしているのかまでは見ていなかった。ましてテーブルの下で何が行われているかなど気づく余地はさらになかった。また短い沈黙を米田が破った。
「それから、ハイキングコースっていうのも行ってみたいな」
「あれ、それもさっき説明したろ。雪に埋もれてて入れないよ」
「そうか、そうだよな! こんな真冬にハイキングコースなんか歩いたら遭難してしまうよな!」
 米田は慌てた。見ていて気の毒になるぐらい、痛々しい慌てぶりであった。

 そこで西岡が助け舟を出した。
「健一様、あまり長話をされては疲れてしまいますよ。米田様は早朝からバスでお疲れなのですから」
 俺を空気の読めない主人のように云う口調は少々気に入らなかったが、米田を休ませようという気遣いは有り難く思った。
「っと、そうだな、すまない。そろそろ部屋に戻って昼寝でもするか」
 俺が云うと、米田もほっとしたような顔をして席を立ち、部屋へ戻っていった。

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Author:右斜め下
人が苦しむ物語が好きなんだけど、苦しんでいれば何でもいいってわけでもない。
自分でも「こういう話が好きです」と一言で言えないから、好きな話を自分で書いてしまおうと思った。
SとかMとかじゃないんだ。でもどっちかっていうとM。

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