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聖トリニティ退魔士会 第四話

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「いや、僕、見学ということで今日ここにきてるので、まだ新入部員じゃないッス」
「あらら。そうなんだ。じゃあ、楽しんでいってね」
女は悪びれることもなく云う。
「じゃあ、せっかく新しいメンバーも加わったことだし、自己紹介しよっか。まず私からね。大原香世です。大学院でロシアのキリスト教文学を研究しています。今は、レフ・トルストイの作品に見られる『生きながらにしての死』という恐怖についての論文を執筆しています。はい、次、山野くん、どうぞ」
こうして一人ずつ自己紹介をしていく。俺はメンバーの研究や活動の内容まで聞いている余裕などなく、ただ名前を覚えることで精いっぱいだった。俺の番になって、当たり障りのない自己紹介をしたら、「おおお」という声と歓迎の気持ちのこもった拍手が起こる。何だか悪い気はしない。
「さて、じゃあ、元の話し合いに戻ろうか。中村くんも参加してね。わたしは廊下にいたからわからないんだけど、何の話をしていたの?」
「マタイによる福音書の、山上の垂訓について議論してたんです。『心の貧しい者は幸いである』とは一体どういうことなのか。滝くんがどうしても納得できないというので」
「ふーん、おもしろそうな話題じゃん。滝くんは何が納得できないの」
「いやあ、だって、常識的に考えてそうじゃないですか。物質的に貧しくても、心が豊かなら幸せだ、っていうなら理解できますよ。でも、物質的に豊かでも心が貧しければ不幸じゃないですか」
別の参加者が口を挟む。
「いや、だから、その『心が貧しい』っていう部分の翻訳に語弊があるんだってば。『物質的に豊か』との対照の意味じゃないんだよ」
 こんな調子で聖書に関する難しい議論が展開されていった。俺はよくわからないで口をぽかんとあけながら聞いていたが、隣で大原さんに所々解説してもらいながら最後には何とか自分の意見を発表した。発表したら参加者のみんなから口々に、同感だという反響や、ここの部分は私と意見が食い違うけれども次に発展させられる相違だ、などという反応をもらった。

「中村くんは、聖書持ってる?」
帰り際に大原さんが話しかけてきた。
「いや、すんません、うちの大学って、べつにクリスチャンじゃなくても入学できるので、僕みたいにキリスト教のことを何も知らない奴もいるんです」
俺は申し訳なさそうに答える。
「そっか。じゃあ、私の聖書、貸してあげるよ。この会合に参加するとき、何の話をしてるのか、分かった方が楽しいでしょ?」
「あ、でも」
「気にしなくていいよ。私はまだ何冊か聖書を持ってるからずっと借りててくれてもいいし、すぐ読まなくったって気が向いたときにちょっとずつ読めばいいんだからさ」
大原さんはそういって気さくにウィンクする。なんだか申し訳なくなってしまった。確かに俺はキリスト教系の大学に在籍しているのにキリスト教のことをこれっぽッちも理解していない。借りた聖書をきちんと読んで勉強しないと恥ずかしいような気がする。

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Author:右斜め下
人が苦しむ物語が好きなんだけど、苦しんでいれば何でもいいってわけでもない。
自分でも「こういう話が好きです」と一言で言えないから、好きな話を自分で書いてしまおうと思った。
SとかMとかじゃないんだ。でもどっちかっていうとM。

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