昼食の前と後に、長いお祈りがあった。少々面倒だが、ここにいる限りはしきたりに従うようにしよう。昼食の後には農場・牧場の見学があり、求道者たちとの交流レクリエーションがあり、祈りの時間があり、夕食の前後にまたお祈りがあった。
夕食後の祈りを終えて、割り当てられた男部屋でのんびりしていると、ドアをノックする音がする。男部屋のメンバーの一人がドアを開けると、松枝さんだった。
「夜分申し訳ありません、中村大樹さんはいらっしゃいますか?」
俺だ。何の用だろう。
「はい、中村です……何ですか」
「あ、中村さん、突然すみません。実は司祭の武田先生が、中村さんとお話がしたいと仰っています。お休みのところ申し訳ありませんが、今から一緒にチャペルまで来ていただけますか?」
俺と話? 司祭と云うと、先日会った助祭の田口先生より階級が上ということになる。そんな偉い人が、わざわざ俺をご指名とは一体何の話だろう?
「チャペルまでは私がご案内しますね。夜の道は大変暗くなっていますから足元にお気を付けください」
そう云うと松枝さんは先に行ってしまい、振り返ってこちらを見ている。ついて行くほかないようだ。五月の北海道は午後八時近くでもまだ完全には暗くなっていなかったが、それでも十メートル先はもう真っ暗で見えないような闇だった。松枝さんは懐中電灯を手にずんずん進む。遠くに農場や作業所の灯りが見える以外、周りには森と牧草しかない。気分が現実離れしてきた。
どのくらい歩いたろう、チャペルに着くと奥の部屋に案内された。長く暗い夜道から一転、暖房の効いた木の壁の部屋と暖色の灯りで、なんだかほっとする。部屋には黒革の応接用ソファがあり、その奥のデスクに長い黒学ランの男が座っていた。彫りの深い顔立ちに、栗色の短髪と口ひげ。白人だった。
「わざわざお呼び立てしてすみませんね、本来なら用のある私が出向くべきところだったんですが、他の見学者の皆さんの前でするような話ではなかったものですから」
他の見学者の前でできない話? 俺がどきりとしていると、男は立ちあがって俺へ歩み寄った。
「初めまして、モリス・ジェイコブ・武田です。お会いできて幸せです」
「中村大樹です、初めまして」
武田さんは松枝さんの方を見た。
「松枝さん、彼を連れてきてくれてありがとうございました。あなたの仕事に戻って結構です」
松枝さんは一礼して行ってしまう。俺は白人司祭と一対一で部屋に取り残されてしまった。俺は彼女の道案内なしでは見学者の部屋に戻れない。退路を断たれた気分だ。
「中村さん、今日は長旅お疲れ様でした。午後の半日、こちらの合宿所で過ごされてみて、いかがですか?」
いかがですかって、この手の質問は苦手なんだよなあ。
「新鮮です。こちらで生活している人は、毎日お祈りをしたり、農場や牛舎で働いたりしていて、それが、何と云えばいいか、そうやって毎日を過ごしていると、穏やかな気持ちで自給自足できるというか……」
「そうですね。ここで生活している退魔士や求道者の方々は、日々を都会の喧騒に煩わされることなく自足した生活を送っています。物質的な意味だけではない『自足』です。よいところに気がつかれましたね」
「はぁ」
そんな話をするためだけに俺をここへ呼んだとは思えない。
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